カウンセリングルームP・M・R代表、ゲイの心理カウンセラー村上裕です。
このページでは、カウンセリングに取り組んでみようと思う方に向けて、カウンセリングへの誤解をといてカウンセリングの効果性を高めて頂くために、カウンセリングとは何か?を解説してゆきます。
全体として文章のボリュームが多いので、無理せず、休憩しながらお読みください。
 

【1】よく頂くご質問からの解説

 
・カウンセリングは治療である。
 
◯ 、✕ 、△ で表現すると、これは ✕ です。
カウンセリングは治療ではありません。
治療の過程でカウンセリングを活用することはあり得ますし、カウンセリングが治療的効果をうむこともあり得ますが、カウンセリングそのものが治療ではないのです。
 
 
・カウンセリングは医療である。
 
これは △ です。
元来は心理学とともに精神医療の中で発展してきた背景があるため、カウンセリングが医療的な側面を持つのは事実です。
医療は「 治療 」と「 予防 」に観点が分かれますが、カウンセリングは「 予防医療 」と同じ領域に相当します。
 
 
・カウンセリングはサービスである。
   
これも △ です。
極稀にカウンセリングを「 満足を売るサービス商品 」と捉える方がおられますが、これは ✕ です。
しかし「 カウンセリングを効果的にするために、良好なサービスを心がける 」という点では ◯ です。
なので、間を取って △ というニュアンスです。
 
 
・カウンセリングは受けるものである。
  
これも △ です。
カウンセリングは「 取り組む 」と表現するのが ◯ です。
しかし相談者は、最初の頃はカウンセリングの進み方や何をしてゆくか分からないものですから、必然的に「 受ける 」かたちになります。
そのため △ となります。
 
 
・カウンセラーは解決策を教える者である。
 
これは ✕ です。
ときおり「 カウンセラーに相談すると、解決策を教えてくれるもの 」というイメージを仰ってくださる方がいます。
そういう時には「 カウンセラーは、解決策をご一緒に考えてゆくもの 」ということをご説明させて頂いています。
 
 
・カウンセラーはアドバイス(助言)をする者である。
 
これは △ です。
カウンセリングとアドバイスは別なもので、アドバイスを行う人をアドバイザー、カウンセリングを行う人をカウンセラーと言います。
カウンセリングの過程でカウンセラーがアドバイスをする可能性はあるのですが、必ずアドバイスをするわけではなく、むしろ、アドバイスは最大限ひかえることが多いです。
アトバイスは場合によっては効果的なこともありますが、用い方を誤ると指示者と被指示者というところから上下関係ができてしまう可能性があります。
 
 
・カウンセラーは支援者である。
 
これは ◯ です。
カウンセラーは「 問題解決を支援する 」ことや「 問題を解決しようとする人を支援する 」ことが役割です。
相談者の代わりにカウンセラーが問題を解決してはいけないし、相談者が自分の心で自分のことを考える時間を奪うのもいけません。
相談者の主体性や自立心を尊重しながら、支援をしてゆくことが重要です。
 
 
 

【2】心理カウンセリングの歴史と背景

 
現代カウンセリングの土台としてカウンセラーや相談者( クライアント )の双方に広く普及している考え方を、マイクロカウンセリング理論といいます。
マイクロカウンセリング理論は、1966年にアレン・E・アイビイを筆頭とする心理学者が開発を始めたもので「 効果的なカウンセリング 」を体系化したものです。
 
アレン・E・アイビイは、ゲシュタルト療法、来談者中心療法( ロジャース流カウンセリング )、精神分析( フロイト流カウンセリング )等、当時はバラバラに分離していた様々なカウンセリング手法を効果的に理解することができる土台として、マイクロカウンセリング理論を構築しました。
 
そのため、現代では多くの心理カウンセラーがマイクロカウンセリング理論を土台としながら、ゲシュタルト療法をメインの手法とするカウンセラーが居たり、来談者中心療法をメインの手法とするカウンセラーが居たり、精神分析をメインの手法とするカウンセラーが居たり、あるいは、認知行動療法、箱庭療法絵画療法、意味療法、動物介在療法と、多種多様な手法をメインとするカウンセラー達が居ます。
 
また、カウンセラーによっては、医学、哲学、生物学、生理学、大脳生理学、社会学、などの心理学と隣接した学問を用いる人もいます。
あるいは、神秘学、占星学、卜占学、数秘学を初めとする、いわゆる広い意味でのスピリチュアルを用いる人もいます。
そのため、カウンセラーごとの特色に違いのある状況となっています。
心理カウンセリングを経験したことのある多くのかたが、カウンセラーによってカウンセリングのやりかたが全然違うという実感を抱くのは、このためです。
 
料理に例えると、調理された食べ物、食べ物をいれるお皿、お皿を並べるお盆、お盆を置くテーブルがあるとします。
そうすると、

・テーブル:「人を支援する」という大きな領域のカテゴリー。

・お盆:「心の支援」という中くらいの領域のカテゴリー。

・大皿:「マイクロカウンセリング理論」という小さな領域のカテゴリー。

・小皿:「主ではないがより補完的なカウンセリングの理論」という、さらに小さな領域のカテゴリー。

・料理:「様々な手法や療法」という、大皿や小皿に乗せられたカテゴリー。

と考えることができます。
 
人を支援するという大きなテーブルの上に、法的な支援、医療的な支援、生活の支援、身体の支援、etc,,,, などの領域が異なるお盆がいくつも乗っていて、そのひとつが「 心の支援 」というお盆です。
そして、マイクロカウンセリング理論という大きな器やその他の理論による小さな器があって、その上に様々な手法や療法がある、というイメージになります。
 
心理学を初めとする学問は、調理法に該当します。
同じ料理でも人それぞれで料理の造り方( 主とする学問 )はそれぞれ違うものですから、同じ料理を造る人( 同じ理論、同じ手法を使う人 )であっても、できあがる料理の味や彩りなど、自然に違いがうまれてきます。
こういった歴史と背景から「 無数の料理のかたち = 多種多様なカウンセリング 」があるのです。
 
さらに、日本では海外に比べて独自の発展の仕方をしてきた歴史もあります。
海外( 特に欧米 )では、心理カウンセリングは精神科のドクターが薬物療法と併用して提供することが多いため「 ドクター = カウンセラー 」でもあります。
海外のドクターは、クライアントの様子を観察しながら、薬物療法とカウンセリングを使い分けてゆくスタイルが基本です。
これは、西欧や欧米が様々な心理学やカウンセリング理論の発祥の地であり、精神医学と共に心理学やカウンセリングが発展してきたことに由来します。
薬物療法を主とする精神医学と、精神療法としての心理学・カウンセリングが、相互に補完しあいながら発展してきたのです。
 
一方の日本では、1875年に日本初の公立精神科病院が設立され、1878年に私立精神科病院が設立されました。
心理学はどうかというと、日本では1920年代に日本初のいくつかの心理学会が設立されることとなります。
つまり、精神医学が日本に導入されてから約40年遅れて、心理学が普及することとなったのです。
この40年の差があったことで、日本では精神医学と心理学の融和と整合がうまくいかず、現在のように 精神科病院 = 薬物療法 という体制が強化されてしまい、心理学やカウンセリングが精神医療と分離してしまうようになりました。
そのために「 精神科病院や診療内科のクリニックに行くとカウンセリングも受けられる 」というイメージを持って医療機関を受診すると、薬物療法のみでドクターとの面談が終わってしまい落胆するという実情が起こるようになっています。
 
カウンセリングルームP・M・Rはそういった社会の実情の中にあって、セクシュアル・マイノリティ当事者や周辺家族、社会的孤立に苦難を感じる異性愛者の方々に対して、心理療法やカウンセリングを提供する専門機関として2007年に設立されました。
以降、薬物療法の効果や副作用も踏まえながら心理療法やカウンセリングを提供し、セルフケアの普及と後進育成のために心理学講座やカウンセリング講座を提供し、多様で豊富な臨床経験を元に企業や行政機関、学校組織へ、メンタルヘルス研修やLGBT研修を提供するに至っています。
 
 
 

【3】カウンセリングと心理療法の違い

 
ともすれば、多くの心理カウンセラーが正確に理解できていないのが、カウンセリングと心理療法( 以降、セラピーと表記します。 )の違いです。
WEBサイトではカウンセリングを提供すると表記されていて、実際に足を運んでみるとセラピーだった、ということも珍しくありません。
このことは、私自身がいくつものカウンセリング機関を訪ね歩いて、より深く実感していることです。
 
 
カウンセリングとセラピーの違いとして、最も明確なのは目的の違いでしょう。
カウンセリングとセラピーはその目的が全く違うので、提供者が勘違いをしていれば相談者( クライアント )の目的とすれ違ってしまうのは当たり前のことなのです。
 
カウンセリングの目的は「 相談者が悩み事に対処をしながら、最終的に解決すること 」です。
悩みの状態にあるとき、人は、答えをだすことができずにいます。
 
悩んでいる時に、私達にはどんなふうに感じているでしょう?
出口のない迷路に入り込んだような感じ、
太陽を失って暗く閉ざされた空間にいる感じ、
深い霧に包まれて一歩先も見えない感じ、
誰も彼もが悪意ある敵や無関心な傍観者に思えて孤立した感じ、
誰が味方か分からなくてポツンと孤独な感じ、
どうすればいいか分からなくて自分が無力な存在で何もできない感じ、
生きることが生きづらさと苦痛に満ちた牢獄のような感じ、
というような、心の感じ方でしょうか。
 
カウンセリングの目的は、そういうふうに感じられる状況を解消し、その状況をつくりだしている悩み事を解決し、毎日を生きやすく、人生を幸せなものにし、生きることが楽しいものとしてゆくことです。
このカウンセリングを提供する人が、カウンセラーです。
 
 
一方、セラピーの目的は「 相談者が自分の感情に対応してゆくこと 」です。
悩みの状態にあるとき、人の心では様々な感情が駆け巡っています。
 
自分の理性のちからを奪うくらいの強い怒り、
なんとかしようとする気力を奪う恐怖、
混乱して道標を失うような不安、
何か大切なものを失ってしまった悲しみ、
こころの奥で暗く渦巻く憎しみ、
自分の心を鈍く刺し続ける恨み、
人生や生きることに何の意味も感じられない虚しさ、
などでしょうか。
場合によっては、感情を感じることそのものが苦しすぎて、感じることをやめて感情の不感症になっていることもあるでしょう。
 
セラピーの目的は、そんなふうに心の中で起こっている感情に気づき、自分の感情との付き合いかたを覚え、自分を苦しめる感情を解消してゆくことです。
本来、感情は自分を苦しめる害悪ではなく、生きることの原動力となる大きなエネルギーなのですから。
このセラピーを提供する人が、セラピストです。
 
 
カウンセリングとセラピーはこのように全くことなった効果と目的があるので、それを提供しようとするカウンセラーやセラピストが間違っていると、相談者の要望に応えることができません。
 
また、相談者自身がカウンセリングとセラピーを混同している場合も、本当はカウンセリングを求めているのに間違ってセラピストの処に行ってしまったり、セラピーをしたいのにカウンセラーの処に行ってしまったりします。
 
カウンセラーやセラピストは自分がどちらを行っているのかをよく理解する必要がありますし、相談者も自分が求めているのがどちらなのかを理解して支援者を訪ねると良いでしょう。
 
カウンセリングルームP・M・Rでは、カウンセリングとセラピーの両方を提供することができます。
セラピーについてはカウンセラー毎に得意なものや可能なものが異なりますので、ご依頼の際に事務局スタッフにリクエストをして頂くか、説明が難しそうと思われる場合には実際に担当カウンセラーにお尋ねください。
 
 
 

【4】心理支援の種類

 
カウンセリングとセラピーに限らず、しばしばメンタルコンサルティング、コーチング、メンタルトレーニング、が混同されていることがあります。
どれも「 援助行為 」なのでよく似ているのですが、この5つはそれぞれ全くことなる役割と効果を持ちます。
 
 
悩みには明確な解決の方法とステップがあるのですが、私達が自分の悩み事を解決できないのは当たり前のことです。
なぜなら、私達は自分の悩み事をどう解決すればいいか、学校で学ぶことがないからです。
幸運な方は親から学ぶことができますが、多くの方々は悩み事の対処法を親から学ぶことはあっても、自分の悩み事の解決法を学ぶ機会は無いに等しいのです。
では、悩み事の解決方法を学ぶということや、心理支援というのはどういうものなのでしょうか。
 
 
例えば、自転車に例えてみると「 悩み事を解決すること 」というのは「 自転車に乗れるようになること 」と、よく似ています。
私達は、誰もが生まれた時から自転車に乗ることはできませんよね。
 
あるところに、自転車に乗りたいAさんと、Aさんの自転車があります。
Aさんは自分の自転車を持っているものの、自転車に乗ることはできないので、重い自転車を引いて歩くしかありません。
この自転車はAさんの所有物なので、いつもAさんの身近にあり、移動する時には常に持ち歩かなければなりません。
そして、そんなAさんのように、自転車に乗りたい人達が集まる部活があるとします。
 
 
メンタルコンサルティングというのは、学校外の強化コーチのようなものです。
時々部活にやってきて、部員やチーム全体の課題を分析し、改善案や解決策を提案します。
必要とあれば、Aさん達の代わりに今起こっている問題を解決したりもします。
部員との関わりの頻度は多いとは言えませんが、関わる時の効果と影響は大きいでしょう。
 
 
コーチングというのは、部活の監督のようなものです。
部全体の達成目標を決め、練習内容を考えてAさんやみんなが自転車に乗れるように指示をしたり、期限までに達成できるように指導をします。
部員との関わりの頻度は多いですが、指示をする側、受ける側という上下関係がうまれやすいので、伝え方や聞き方に双方の注意が必要となります。
部活の監督がアレコレと指示をしてしまうと、練習に取り組む部員にとっては逆効果になることもあるからです。
 
 
カウンセリングというのは、部活の仲間や上級生のようなものです。
乗れない部員が自転車に乗れるように応援をしたり、どんなふうに難しいのかを聞いて、どうすれば乗れるようになるかを一緒に考えます。
しかし、部活の仲間は練習の時にAさんの自転車が倒れないように支えることはできても、魔法のようにAさんが乗れるようにしてあげることはできません。
あくまでも頑張っているのはAさんであって、Aさんの練習に対して必要以上に干渉をしたり、自分のやり方を押し付けても有効な効果はないのです。
時には、すでに自転車に乗れるようになった先輩が登場することもあるでしょう。
先輩はもう自転車に乗れるので、どうしても必要な時にはAさんの代わりにAさんの自転車に乗ることはできるけれど、結局、Aさんは自転車に乗れないままです。
部活の仲間や先輩はAさんにとって同じ目標に取り組む最も身近な仲間ですが、Aさんの代わりとなることはできないのです。
仮にAさんが練習の過程でケガをしたとしても、Aさんのケガが治るのを待ち、またAさんが練習を始めるときには応援し、サポートをし続けます。
Aさんがもう自転車に乗れなくてもいい、と諦めそうな時があったとしても、諦めずに一緒に頑張ろうと励ましたり勇気づけたりします。
Aさんが諦めかけていても身近な人間が諦めずにいることで、Aさん自身が再び練習に取り組もうと思えるときもあるでしょう。
 
セラピーというのは、少し目的が違います。
例えば、Aさんが自転車に乗る練習中にケガをした時には、Aさんは保健室に行くでしょう。
保健室では、Aさんのケガを消毒液と包帯で応急処置をしたり、場合によってはしばらくの間、ケガの経過を観ながら治療を続けてゆきます。
あまりにもケガが重大な時には、より高度な治療ができる病院に行くこともあるでしょう。
ケガはすぐに治ることはありませんから、保健室の先生や部活の仲間達が、ケガの痛みに苦しむAさんの気持ちを聴いたり、部活に復帰できるか不安な気持ちを聴いたりすることもあるでしょう。
セラピーは、これに該当します。
Aさんは、すぐにケガが治らなかったり、すぐに部活に復帰できなかったとしても、気持ちや感情を安心して話せる相手がいることで、自分の気持ちや感情に対応してゆくことができます。
自転車に乗れるようになる目的ではなく、Aさんが自分の気持ちや感情に対応できるのが目的である、というところが、セラピーと他の支援との違いです。
 
 
部員の仲間や先輩、部活の監督や外部コーチとの関わり方や頻度は様々で、Aさんとの関係性によって多いときもあれば少ないときもあるでしょう。
しかし、Aさんが練習を続けてゆけば、必ず自転車に乗れるようになります。
 
コンサルティング、コーチング、カウンセリング、は、それぞれ役割と立ち位置が異なるだけで、同じ援助行為です。
重要なのは、いずれを活用するとしても、最終的にAさん自身が自分の自転車に乗れるようにならなければ、「 自転車 = 悩み 」はAさんにとってはずっと重い荷物のままであることです。
  
しかし、一度自転車の乗りかたを覚えれば、Aさんは自分の自転車をいつでも乗りこなせるようになり、しばらく乗っていなくて乗り方を忘れることは無いので、またいつでも自転車に乗ることができます。
自転車を引きずって歩くよりも楽に移動ができるようになり、それまで重たい荷物だった自転車は、徒歩よりもずっと遠くまでAさんを運んでくれる便利な道具になります。
 
 
メンタルトレーニングは、進路相談の教師やOBのようなものです。
自転車に乗れるようになったAさんがこれからどこに行くのかを、一緒に考えていきます。
Aさんの目的によっては、プランナーやアドバイザーとなることもあるでしょう。
時には、一緒に自転車で走るツーリング仲間となることもありますし、地図を持ってナビゲートすることもあるでしょう。
自転車に乗れるようになったAさんの目的次第で、様々な役割と立ち位置を持つことができます。
大切なのは、この時も自転車に乗って目的地に向かっているのはAさん自身なので、メンタルトレーニングもまた援助行為であるということです。
 
 
自転車の乗り方に例えて、メンタルコンサルティング、コーチング、カウンセリング、セラピー、メンタルトレーニングを解説してみましたが、いかがでしょうか?
なんとなくでもそれぞれの違いを感じて頂けたなら幸いです。
 
どんな関わりの頻度であっても、大切なのは、対等性です。
「 Aさん = 相談者 」への心の尊重と主体性の尊重がなくては、「 Aさん = 相談者 」は支援者の言いなりになる操り人形になってしまいかねません。
 
 
カウンセリングルームP・M・R所属の心理カウンセラーは、コンサルティング、コーチング、カウンセリング、セラピー、メンタルトレーニング、いずれもご提供することができるので、相談者のリクエストと様子に応じて、適切な方法で支援をしてゆきます。
もちろん、相談者の心と幸せを第一に、大切にしながら。
 
 
 

【5】カウンセラーとイネイブラー

 
私自身、現代カウンセリングの実情とカウンセラーの現状を知るために、多くのカウンセリング機関を訪ね歩く中で、現代カウンセリングの大きな問題点を実感しています。
その最たることのひとつが、「 カウンセラーを名乗るイネイブラーが居る 」ということです。
しかもこれが珍しいことではなくて、多くのカウンセリング機関、時には医療機関でも見かけることが、この問題の根深さと危険性を実感するに至っています。
カウンセラーとイネイブラーはよく似ているのですが、全く真逆の存在です。
 
カウンセラーとはカウセリングを行うひとですが、イネイブラーはイネイブリングを行います。
イネイブリングとは元来、共依存の関係性を説明するために用いられる言葉で、その定義は「 依存状態にある人を更に依存させ、本人の主体性や自発性を減少させる行為 」です。
アルコール依存症の研究の中で発見され、以降は、対人依存、恋愛依存、ギャンブル依存、買物依存、性交渉依存、暴力依存、等のなかでも用いられるようになりました。 
重度の依存症の人の傍らには必ずこのイネイブラーも居て、依存症の当事者が自立するのを妨げています。
本来は良き理解者・支援者であった人が、いつの間にかイネイブラーに変貌しているということも、よくあります。
イネイブリングは、親と子、夫と妻・夫と夫・妻と妻、友人同士、同僚同士、上司と部下、医師と看護師、医師と患者、看護師と患者、教師と教師、教師と生徒、カウンセラーとカウンセラー、カウンセラーと相談者、などのように、支援関係にあったり上下関係のうまれやすい関係性の中でしばしば起こり、慢性化してゆきます。
不健康な依存状態を自覚し解決しようとする依存症の人に対し、「 もう頑張らなくていい 」「 もう充分だよ 」「 今のままでいい 」という受容的な言葉を、不適切なタイミングで、非効果的に用いてしまうのです。
 
ではどのようなことがイネイブリングかと言うと、当人同士の関係性や共有している価値観、会話している内容や取り組んでいる課題によってそのかたちが様々であるため、具体的にこういうことがイネイブリングであると解説するには難しさがあります。
 
 
しかし、例えば、依存症の人が自らのちからを発揮しようとするとき、イネイブラーは「 もう頑張らなくていいよ 」と声をかけ、カウンセラーは「 一緒にがんばりましょう 」と声をかけます。
 
例えば、依存症の人が自らの内面を見つめて苦しんでいるとき、イネイブラーは「 もう充分だよ 」と声をかけ、カウンセラーは「 ご自身の心を見つめる勇気に敬意を感じます 」と声をかけます。
 
例えば、依存症の人が自分自身を責めているとき、イネイブラーは「 かわいそうに 」と声をかけ、カウンセラーは「 責めなくていいんですよ 」と声をかけます。
 
例えば、依存症の人が諦めて取り組みを投げ出そうとするとき、イネイブラーは「 自分の自由にしていいんだよ 」と声をかけ、カウンセラーは「 本当にその選択で後悔はありませんか? 」と声をかけます。
 
例えば、依存症の人が脅迫的な義務感で自分を許さなければいけないという思い込みの状態にあるとき、イネイブラーは「 そうだね、許したほうがいいよね 」と声をかけ、カウンセラーは「 許したくないのなら、許さなくていいのではないですか 」と声をかけます。
 
 
上記のコミュニケーションは、ある会話のあるシーンだけを抜き取ったものであって、上記のような会話をしているからイネイブラーだ、カウンセラーだ、ということではありません。
それほど、イネイブリングとカウセリングは区別がつけづらいものです。
 
ただ、両者の傾向を見比べた時、下記のような傾向の違いがあります。

イネイブラーは「 優しく 」し、カウンセラーは「 応援 」をします。

イネイブラーは「 支配 」をし、カウンセラーは「 尊重 」をします。

イネイブラーは「 嫌われることを恐れ 」、カウンセラーは「 嫌われること恐れません 」。

イネイブラーは「 察すること・察せられること 」を喜び、カウンセラーは「 明確な言動と態度による交流 」を喜びます。

イネイブラーは「 停滞 」を促し、カウンセラーは「 自由 」を促します。

イネイブラーは「 依存を延長 」させ、カウンセラーは「 自立を提案 」します。

イネイブラーは「 都合の良いこと 」を言い、カウンセラーは「 必要なこと 」を言います。

イネイブラーは「 同調 」を目標にし、カウンセラーは「 協力 」を目標にします。

イネイブラーは「 親密な関係 」を目指し、カウンセラーは「 信頼関係 」を目指します。
 
 
この解説にて、感覚的、ニュアンス的にでも、イネイブラーとカウンセラーの本質的な違いを感じていただけたなら幸いです。
 
カウンセリングルームP・M・R所属のカウンセラーは、イネイブリングとカウセリングを区別する訓練を受けています。
自分が何を行っているのかを注意深く観察し、常に適切なカウンセリングを行うことができるよう、日々の自己探求を行い、自己研鑽を行っています。
どうぞ、ご安心ください。
 
 
 

【6】カウンセラーと相談者の関係性

 
カウンセラーやカウンセリングに対する大きな誤解のひとつに、カウンセラーと相談者( クライアント )との関係性があります。
この誤解は、実際のカウンセリングの現場でも相談者と話し合う機会も多いです。
 
ある時、あるひとりの相談者がこんなことをお伝えくださいました。
 
「 悩み事を解決したいし、できることなら楽しく幸せに生きてゆきたい。
そのために自分ひとりの力では、今はどうにもならなくて、カウンセラーのサポートが必要な自覚もあるのです。
しかし、自分のことをカウンセラーに話そうと思うと、カウンセラーに厳しいことを言われたり、自分の問題点を指摘されたり、ダメなところを改善しろと言われるように思ってしまいます。
カウンセリングを受けるのも、自分の弱いところや未熟なところに向き合って見つめるようなイメージがあって、不安でつらいのです 」
 
何度もカウンセリングを重ねたある時に、大きな勇気を振り絞って伝えてくださった言葉でした。
そのおかげで、私は、カウンセラーやカウンセリングへの誤解について、その相談者に説明させて頂く機会を得たのです。
 
 
まず重要な前提は「 問題のありか 」についてです。
「 問題 」というのは、現実の世界のなかで相談者に起きている何らかの現象です。
その現象が相談者に不利益をもたらしていたり、苦しみやつらさを感じさせています。
間違ってはいけないのは、現実に起きている「 問題という現象 」があるのであって、「 問題のある人 」が居るのではないということです。
問題は現実の世界で起きている何らかの現象であり、解決すべきはこの現象です。
相談者が問題のある人なのだから、相談者の人格や生き方や人生を変えるのだ、ということではありません。
 
それなのに誤解をしてしまいやすいのは、「 問題の所有者 」が相談者であるためです。
「 問題 」は相談者の持ち物であって、相談者自身に問題があるのではありません。
このことをカウンセラーや相談者自身が間違えてしまうと、カウンセラーと相談者は、変えるか変えられないか、変わるか変わらないか、という対立的な関係になってしまって、カウンセリングの時間は、見えない大きな何かとの戦いのようになってしまいます。
カウンセラーもクライアントも、何かと戦うしんどさや、変えたいのに変わらない現実に疲れてしまって、ひどい時には共依存の関係性となることも珍しくありません。
あるいは、クライアントはカウンセラーに親や恋人の代理を求め、カウンセラーもクライアントを仮想の子どもや恋人に見立てて、互いに陽性転移を起こし合う関係となることも少なくありません。
そうして、カウンセラーもクライアントも、互いの存在なしには苦しみと戦い抜けなくなったり、互いの存在に擬似的な親子感情や恋愛感情を感じあったりして、共依存の深みにはまり込んでゆくのです。
 
 
カウンセリングは、本来、とても楽しいものです。
影も形も分からなかった問題の輪郭が見え、どんな問題なのかの実態が分かり、スッキリします。
どんな原因があって、どんなことが要因だったのかを理解し、解決への道が見え始めて安心します。
どんなことにどういうふうに取り組めばいいかが分かってきて、毎日の変化を実感できるようになってゆくと、自分には現実を変えてゆくちからがあるのだと自覚してゆきます。
悩み事を解決できる、問題を解決できる、という自信がついてくるのです。
カウンセラーと共に取り組むカウンセリングの時間のなかで、自分の内面のちからを実感し、日常の中で現実を変えてゆけるちからを実感してゆきます。
カウンセラーとの取り組みが相談者が本来持っている内面の強さと生きる力を引き出してゆくのです。
こんなに楽しいことは、なかなかありません。
 
 
では、苦しくつらい共依存的なカウンセリングと、相談者がより活き活きとしてゆくカウンセリングとでは、何が違うのでしょう。
 
それは「 カウンセラーは相談者という問題のある人物を、カウンセリングという時間の中で矯正してゆく 」という誤った関係性ではなくて、「 相談者の現実に起こっている問題を、カウンセラーと相談者は共に協力しあいながら解決してゆく 」という正しい関係性、パートナーシップ&バディシップの関係性で捉えることです。
カウンセラーと相談者は敵対する同士ではなく、本来は、共に協力しあって問題を解決してゆく協力関係にあるのです。
カウセリングは「 一方的に受ける 」ものではなく「 共に取り組む 」ものであるという考えかたは、ここに大きく表れています。
 
カウンセラーは、この正しい関係性を適切に深く理解していなければなりません。
また、相談者にもカウンセラーとの適切な理想の関係性をイメージして頂くことも大切です。
 
 
 

【7】カウンセリングのゴール

 
しばしば勘違いをしやすいのですが、「 依存 」は決して悪ではありません。
人間の命は、必ず「 依存 」から始まるからです。
これは生物学的・動物学的に、人間が「 生理的早産 」という状態で産まれてくることに起因しています。
 
私達が生まれた時、つまり赤ちゃんの時ですが、私達は自力で生きてゆくことができません。
自力で移動することもできませんから、自分が生きるための食料ですら、自分のちからで得ることができないのです。
これは人間特有の産まれ方で、人間以外の生き物は全て、産まれた時には自力で移動する筋力を備え、食料にたどりつける能力を備えて産まれてきます。
人間のこの産まれかたが心の成長段階にもそのまま反映されるので、私達人間は “ 圧倒的な心の依存状態 ” から人生が始まることになります。
人間の心の成長段階を明らかにしてゆこうとする心理学の分野を発達心理学といいますが、発達心理学において「 依存 」は自然なスタート地点なのです。
 
次に、少しだけ成長して自分のちからで動けるようになると、人間は身近な存在と共に依存しあう「 共依存 」の状態になります。
「 共依存 」の状態にある両者は、互いの存在がなければ精神の安定を保てなくなり、存在の喪失や関係性の喪失に強い不安を感じます。
多くの場合は母親・父親・兄弟姉妹とこの状態になり、特に、母親とは自然に共依存の関係になりやすくなります。
共依存の時期に子どもは無償の愛を受けることで心理的安全性を深く実感し、自立への下地を整えてゆきます。
そうして、思春期の時期に心理的自立をし、成人するにつれて経済的自立、環境的自立と進んでゆくのです。
 
人間関係がうまくいかない、仕事に目的を見いだせない、将来に希望が無い、感情の制御がうまくいかない、心の深いところで不安がある、などのような社会生活の困難には、時に、この 依存 → 共依存 → 自立 のステップが何らかのかたちで関わっている場合があります。
 
心理的自立・経済的自立・環境的自立のバランスが偏っている場合には、カウンセリングに取り組みながら3つの自立のバランスを考えてゆくのですが、自立をすることがカウンセリングのゴールと考えているカウンセラーや相談者は非常に多いです。
しかし、実はただ自立をしただけでは、やがて孤立してしまうケースが少なくありません。
 
カウンセリングのゴールは「 相互依存 」という状態を目指すことです。
「 共依存 」は「 依存状態にある人間同士がつくる依存関係 」ですが、「 相互依存 」は「 自立している人間同士がつくる依存関係 」をいいます。
「 相互依存 」を他の言い方にすると社会心理学でいう相補性ですが、もっともポピュラーな言葉ではパートナーシップといいます。
そう、自分自身への安定した自信、信頼関係で結ばれた良好な友人関係、健全な愛情の交流する家族関係、そういう関係性の土台となる関係性です。
カウンセリングのゴールは、その関係性の土台を創ることにあります。
 
 
カウンセリングルームP・M・Rの心理カウンセラー達は、相談者とのカウンセリングの時間の中でこの相互依存を目指しながら、相談者が周囲の人々と相互依存の関係を築いてゆけるように支援をしてゆきます。
誰もが、独りでは生きてゆけないのですから。
 
 
 

【8】この解説の最後に

  
最後に、解説者として、この解説をご覧くださっている貴方へ。
私達は、決して貴方にイネイブリングを行いません。
 
人生を良くしよう、楽しく幸せな生き方を目指そうと思い、カウセリングにおいでくださることを選んだ貴方を、もうそれだけで深く尊敬するからです。
勇気を持って現状を見つめご自身の内面を話してくださる姿勢とお気持ちに、感謝と感動を感じるからです。
 
私達は、貴方を素適な人だと思います。
見ないふりをして、見過ごしたまま生きることもできるのに、そうせずに取り組みを始める貴方の姿と姿勢に、人間の力強さと逞しさを感じ、希望を感じるからです。
 
私達は、貴方が内面に大きな強さを持っていることを知っています。
貴方は、これまでの人生を生き抜いてきた人だからです。
楽に生きてきたとは思いません。
誰もが圧倒的な依存の状態から人生が始まるのですから、1人で生きることの苦しさやしんどさを感じずには、生きてこれないのですから。
  
だから私達は、貴方の強さと魅力を見出したいと思うし、貴方の人生に貢献したいと思うのです。
悩みを解決することは楽しくて、生きることは楽しくて、人生は幸せなものだと互いに笑顔で話す、カウセリングのゴールに、共に向かってゆきたいのです。
ぜひ、私達、心理カウンセラーに声をかける第一歩を踏み出してください。
 
 
ここまで、大変長文なカウセリングの解説をお読み下さって、ありがとうございます。
とてもお疲れになったこと思います。
身体と心を休ませたら、カウンセリングへの取り組みについて考えてみてください。
必ず、今日より素適な明日に、明日より素適な明後日になってゆきます。
 
貴方とカウセリングの時間にお会いできるのを、私達は、心からお待ちしています。
 
 
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